もしpanipani店主がカップ焼きそばの作り方を書いたら
1. ここに1つのカップ焼きそばがある。今はまだ何の手も加えられてはいない。私はじっとソレを凝視し可能性を探る。すると、右手前にアンバランスについているピラピラが気になりめくってみる。
中はまだ見えない。
2.「ここまでめくる」的な点線まできた。姿の見えない誰かにインストラクションされるのは嫌いだ。
新しい電化製品を買っても説明書など見たことなどない。
だから強気に対角線上にある角までババっとめくる。
3.中には乾燥している麺とかやくがあり、その上にソースと書かれた袋と、ふりかけと書かれた小さな袋がある。その二つをおもむろに取り出し、ソレの横にぞんざいに放置する。
4.乾燥には保湿である。
すでにコンロには湯気のたったヤカンがある。火傷しないように繊細な手つきでヤカンを持ち、乾燥した麺とかやくの上に静かに注ぐ。美容師は手が命だ。火傷などした日には、今、湯を注いでいるソレさえ買う事が出来なくなるかもしれない。
注意深く注ごう。「お湯ここまで」的な線もあるにはあるが、例によって線よりも下…麺にかぶるかどうかというところまででいい。
5.麺とかやくが熱湯によって膨潤するのに3分もかからないだろう。
早々に湯切り口というシールを剥がし、コンロ寄りに置いていたソレを静かにシンク側まで滑らせる。
そして少しずつ傾け、中の湯を抜く。
昔はこの時にかやくも一緒に流れたものだな〜などと感傷に浸りつつ、湯切りを終えたら、先ほどぞんざいに扱ってしまった小袋の出番である。
6.ソースと書かれた茶色い液体を、白くうねり、少しハリのある麺にかけ、混ぜると、染めを施した後のように美しく艶のある焼きそばができた。
仕上げの一手間はふりかけだ。
かけるもかけないも私の自由…しかし麺はどうだろうか。
かけて欲しいのか否か。
施術者は常にお客さんの望みを敏感に察知せねばならない。
果たして麺はふりかけをかけてほしいのか…
そう熟思黙想をして味わう焼きそばはさぞ格別だろうと、私は思ふ。
完
あとがき
先日、酒を嗜みながら『もし文豪達がカップ焼きそばの作り方を書いたら』などという痛快な本を読んだら、久しぶりに執筆意欲が湧いてきて、長々と続いたスランプを脱却できそうな気がして、パソコンに向かった。
実は下書きフォルダには膨大な書きかけの記事も眠っている。これすらもすんなりと書き上げてしまえそうな意欲すら湧き上がってくる。
私をそんな気持ちにしてくれた前出の『もし文豪達が〜』に謝恩と称賛の意をもって、これをあとがきとする。
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